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本文 III 主要国における特別な教育的ニーズを有する子どもの指導について
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6.第2次調査における小・中学校の聴き取り
 −比較的障害が重いと思われる児童生徒が在籍する学校−
 第1次調査において、イタリアにおける障害のある子どもへの教育のシステムとその実態の大枠を把握することができた。しかし、養護学校を全廃しながら、重篤な障害のある児童生徒が通常の学校でどのような生活をし、どのようなケアを受けているのかという、その実態を把握することはできなかった。そこで、第2次調査では、ボローニャ県教育委員会を通じて、比較的重度の障害のある児童生徒が在籍している小・中学校の見学を依頼した。

1)フォルトゥッツイ(Fortuzzi)小学校
 ボローニャ市の8区にある小学校の一つである。当校は、広大な公園に隣接し、緑豊かな環境にある。在籍する児童数は、230人で10学級の学校である。当校には、ダウン症、言語障害、学習障害、自閉症など障害のある児童が4人在籍している。
 3年生の学級にダウン症児で重度知的障害をもつG君の学習の様子を中心に報告する。3年生の学級は、訪問当砺iii君を入れて14人(法的には、障害児が在籍する場合、1クラス20人の学級編制)の児童が学習していた。担任が授業を行っていたが、G君には支援教師のアレッサンドラ・スーマ(Alessandra Suma)女史と教育士エリーザ(Elisa)女史が付き添っていた。「教育士」は、ボローニア市から雇われた介助員のことである。支援教師は、週22時間(2人で)、教育士は、週20時間G君に付き添い、教育の支援を行っている。G君が教室での学習に集中できなくなると、教室を出てすぐのところにG君専用のスペースがあり、そこでG君の実態に応じた学習目標、内容に沿った学習が行われていた。
 支援教師から、個別教育計画の作成や統合教育に関する説明を受けた。図3に示したものは、「ハンディキャップの生徒の統合教育」と題し、手書きの図を翻訳したものである。内容は、教育の全体目標は障害のある子どもと他の子どもの教育の全体目標は同じであるが、特別なニーズのある子どもに対しては個別教育計画を準備し、適切な支援を行うべきであるとしている。
 そして、「ハンディキャップを含め、一人一人違っていることの価値を問い大切にしていくことは、すべての子どもにとって富となる」ということを強調している。これらのことについて、校長や学級担任、支援教師が共通の認識をもっていることが印象的であった。

図3.ハンディキャップの生徒の統合教育
図3.ハンディキャップの生徒の統合教育

写真2
写真2

 また、図4は、個別教育プログラムに関する関連図である。これも手書きのものであったが、個別教育計画が含む全体的な関連図であり、USLや保護者、そしてクラス担任との関係、教育内容、方法、評価の関連を示している。個別教育計画の様式は、8区で作成されたもので、その中で表4に示したものは、個別教育計画の添付書類で教育目標の概略案の様式である。

図4.個別教育プログラムに関する関連図
図4.個別教育プログラムに関する関連図

表4.添付書類としての個別教育計画例(目標の概略案)
表4.添付書類としての個別教育計画例(目標の概略案)

 個別教育計画は、USLから子どもの診断書が来てからそれをもとに支援教師が中心となり担任も参加し作成する。新学期が始まってから2か月くらいで作成する。支援教師が付き添う時間は、子どものニーズによって違い、これらはUSLでの評価によって決定される。

2)ペーポリ(Pepoli)中学校
 この中学校は、ボローニャの中心街からバスで20分ほど東に位置する住宅街にある。この学区には二つの中学校があり、もう1校は高級住宅街の中にある。2校で900人の生徒が在籍しており、この中学校には、知的障害、脳性マヒ、言語障害などを有する生徒が合計10人在籍していて、5人の支援教師が対応している。
 パオロアレッサンドリ(Paolo Alessandri)校長はインテグレーション教育の印象について次のように語った。
 「インテグレーションが開始された70年代から教員をしていたが、インテグレーション開始当時は、インテグレーションに理解を示さない教員も多く、必ずしも障害のある児童生徒にとっては望ましい教育の場ではなかった。しかし、その後、法律面での整備に力が入れられ、一般教員の意識の変革や支援教師の配置などもあり、30年の紆余曲折を経て、現在ではインテグレーションがしっかり根付いている。」さらに校長からは、学校教育でのインテグレーションは安定期に入っているものの、学校教育を終了してからの障害のある生徒、とくに重度の障害のある人ほど社会から分断されている傾向にあるという認識が示され、今後の課題として、社会のインテグレーションの拡充が強調された。
 支援教師マリーナ・ベネッティ(Malina Benetti)さんの案内による授業を見学した。3年生の学級では、対人関係と言語能力に障害のある女子生徒と南部からの移民で環境による知能面が未発達とされている男子生徒が、文法の授業を受けていた。二人の生徒は、マリーナ・ベネッティさんが担当しており、共に全ての授業を他の子と一緒に受けている。学級の生徒数は20人であった。1年生の学級には、知的障害のある女子生徒が在籍しており、美術の授業を見学した。ベテランの女性教師が担当しており、授業の合間をぬって、これまでの作品の記録をもとに障害のある生徒への指導実践の蓄積があることを示してくれた。2年生の学級では地理の授業が行われていた。染色体異常により知的および発達的な遅滞があると思われる女子生徒が在籍していた。支援教師1名が対応していた。小グループによる活動が中心で、この生徒は学習の内容などに応じて、各グループ間を移動して学習し、クラスメイト全員が本生徒と直接関わりあうように配慮されていた。校内には障害のある生徒が集う教室が用意されており、生徒同士が交流したり、個別的な指導が行われたりしていた。支援教師のマリーナ・ベネッティさんによると、重度の障害児が学校に通う週30時間、常に誰かが対応できるように、支援教員だけでなく介助員も配置されるようになったということであった。当校は用務員に精神障害のある人を迎えており、スタッフの面でも「障害」に考慮していた。

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