メルマガ連載記事 「知れば得する???脳科学―自閉症―」
第1回


自閉症の治療薬は?
― オキシトシンの可能性 ―

国立特別支援教育総合研究所客員研究員 渥美 義賢  

自閉症に対する薬物療法

 現在、自閉症に対する薬物療法は基本的に対症療法です。すなわち、自閉症にしばしばみられる二次障害、すなわちパニックといわれる情動興奮、不安、不眠、抑うつ気分等に対する向精神薬や、てんかん発作が随伴する場合に用いられる抗けいれん薬等が用いられています。
 一方、自閉症を治癒させる薬物や、自閉症の中核的な症状である対社会性の障害やコミュニケーションの障害、限定された関心等に明らかな効果を持つ薬剤は開発されていません。これまでに、自閉症の症状そのものに有効な薬剤ではないか、としていくつか薬物が候補としてあげられ、現在検討中の薬物もありますが、客観的な有効性の検定を通過し科学的に有効性が証明された薬物はありません。

オキシトシン 

  自閉症に効く薬かもしれない、と最近注目されている物質にオキシトシンがあります。オキシトシンは元々ヒトの体内にあるホルモンのひとつです。これは脳の視床下部内で合成され、2つの経路で2つの働き方をします(図1の水色で示された視床下部の中のオレンジ色で示された室傍核で合成されます : この図は脳の左右半球の真ん中の断面を示しています)。
 1つはホルモンとしての働きで、血液を通して脳以外の全身への働き、主に平滑筋に作用します。図1では赤矢印で示しましたが、神経繊維内を移動して脳下垂体後葉に行き、そこから血液中に分泌されます。血液中に分泌されたオキシトシンは、分娩時に子宮筋を収縮させて分娩を促進させたり、授乳時に乳管平滑筋を収縮させて乳中分泌を促進させる働き等をします。血液中に分泌されたオキシトシンは、脳にある血液脳関門のために脳内に入ることはできません。
 もう1つの働きは、脳内における神経伝達物質としての働きです。その経路を図1の青矢印で示しました。情動等を司る大脳辺縁系や、それと密接に関連する側座核(図の黄色部分)を中心に脳内に広く伝わります。この脳への働きが近年注目されています。

「愛の薬」? ~脳への作用~

ネズミの画 オキシトシンは哺乳動物の脳に作用し、ネズミや羊において分娩後に母性行動を発現させます。また、一夫一妻制をとるプレーリーハタネズミの雌では、オキシトシンが雌雄のペアが安定したつがいを形成し共に子育てをすることに関与しています。
 ヒトにおいても対人関係や社会性にも変化を与え、「他者への信頼」「共感性」「寛大さ」感が増す、等という研究報告がなされています。
 プレーリーハリネズミの写真

 

 

 

 このような作用があることから、オキシトシンが「愛の薬」と報道されることがあります。
 そして、社会性・対人関係に作用する可能性があることから、オキシトシンが自閉症の治療薬になるのではないか、と期待されています。自閉症のある人たちへの実験的な投与もなされ、その結果として、社会性の改善、不安・恐怖の軽減、反復行動の改善等が報告され、自閉症の中核症状に有効である可能性が推測されています。

   

期待されるが・・・

 自閉症の中核症状がオキシトシン(同じく視床下部で合成され化学構造が類似しているペプチドホルモンであるバソプレッシンも)の投与によって改善されることへの期待は多く、現在多くの研究がなされています。オキシトシンは自閉症の治療だけでなく、うつ病や社会不安障害等の他の精神障害に対する治療にも役立つのではないかと期待されています。
 しかし、現時点では自閉症の特効薬になるかどうかについて不明確なことが多くあります。問題点としては、鼻から吸入させる等の投与の方法と脳への移行の問題(血液から脳内にはほとんど移行しない、経口投与では消化管で直ちに分解される)、分解が早いこと(血中では3分間で濃度が半分に分解される)、薬剤の有効性を検定する基本的な方法である二重盲検法による研究がなされていないこと、静脈注射時ですがくも膜下出血や一過性の高血圧、吐き気等の副作用、等があります。オキシトシンが自閉症の治療薬となりうるか否かの解明、治療薬になるとしてそれが実用化に向けて、なお研究されるべきことが多く、かなりの時間を必要とするでしょう。
 また、オキシトシンの対人関係への作用が自閉症の対人関係の障害の特性に有効かどうかの検証も必要でしょう。オキシトシンの動物実験における社会性・対他関係に対する効果は、プレーリーハタネズミや羊におけるつがいの形成や母性行動の発現ですが、これらはつがい以外の動物や自分たちの子ども以外に対する攻撃性の増強(選択性の形成という重要な母性行動)を含みます。最近の研究で、オキシトシン投与により、自国中心主義を増強する―すなわち身近な対人的陽性感情の増強と疎遠な対人的陰性感情の増強する可能性が報告されました。対人関係と言っても幅広く多様な内容を含むので、オキシトシンが対人関係の変化をもたらすとしても、どのような対人関係にどのような変化をもたらすのかを明確にする必要があるでしょう。

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