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本文 科研費研究「通級指導教室における早期からの教育相談」研究成果報告書(2002)

独立行政法人国立特殊教育総合研究所

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島根県における幼児通級の実態と指導の実際

松 原 洋 司


(島根県浜田市立松原小学校)

  要旨:小学校に設置された通級指導教室における制度上の指導対象は、「通常の学級に在籍する児童」でありこ幼児はその対象とはされていない。しかし、難聴特殊学級および言語障害特殊学級(きこえ、ことばの教室)において通級制が取り入れられて以来、幼児の通級も絶えることなく続いてきた。ハンディキャップを有する幼児とその保護者を、通級指導教室ではどのような形で受け入れ、そのニーズに応えるべくかかわっているのか。本稿においては、島根県における幼児通級の実態と指導の実際を報告したい。
  見出し語:幼児、通級指導教室、システム、就学、暮らし


 1.島根県における幼児通級の実態
  (1)幼児通級の割合

  島根県聴覚言語障害教育研究会の調査によると、2001年現在、島根県内の通級指導教室(20教室)に通級する幼児は、全通級児に対して18%の割合である。全県的に、通級児の人数が増加しているので、それに伴って今後も通級する幼児の人数も増加するのではないかと考える。

  (2)指導対象
  学校教育法施行規則には「特別の指導を行う必要があるもの」として、「1言語障害者、2情緒障害者、3弱視者、4難聴者、5その他心身に故障のある者で、本頃の規定により特別の教育課程による教育を行うことが適当なもの」があげられている。
  島根県内には、この法令に則って、「言語障害」、「難聴」の「通級指導教室」が設置されている。しかし、県内の通級指導教室に通う幼児は、主たる障害が、「言語障害」と「難聴」に限られているという訳ではない。ある教室が作成している啓発リーフレット(教室案内)を見ると、通級による個別の指導を必要としている子どもの例として、次のようなものがあげられている。
 ◇ ことばの発達が気になる。(ことばが話せない。ことばが少ない。人の言うことが理解しにくい等。)
 ◇ ことばがはっきりしない。発音が気になる。(ある音が正しく発音できない。ことばが聞き取りにくい。声が鼻にかかる等。)
 ◇ ことばがつまって話しにくい。(「力、力、カラス」のように繰り返して話す。「カーラス」のように引き伸ばして話す。話し始めの音がっまって話し出しにくい等。)
 ◇ 聞こえにくいのではないかと気になる。(呼んでも振り返らないことがある。何度も聞き返す。聞き違えることが多い。小さな音が聞き取りにくい。補聴器を使用している等。)
 ◇ コミュニケーションがうまくいかない。(友達や先生とかかわりを持とうとしない。家では話すが学校や園などでは話さない。視線が合わない。表情が少ない等。)
 ◇集団行動がとりにくい。(一人でばかり遊んでいる。じっとしていることができない。人の話が聞けなし、。すぐに手が出る等。)
 ◇ その他。(文字が書けない。絵が描けない。身の回りのことが自分でできにくい。就学について。病気入院中の指導について。特殊学級の指導内容について等。)
図1 初回教育相談の流れ概要図   もちろん、このリーフレットにあげられたような様子がみられる子どもが全て通級している訳ではない。このリーフレットにあるような事柄が気になるということで、まず初回相談を持つことになる。初回相談からの流れは図1のようになる。初回相談を持つにあたっては、電話等で相談の申し込みを受け、相談日時を決定する。相談は、原則として保護者と子どもで来室してもらうが、幼稚園、保育所の担任が来室する場合、保護者だけが来室する場合もある。相談では、保護者の話や子どもの様子から通級指導教室ではどのような援助や指導ができるかを話す。相談の結果、子どもに対して通級による指導が必要であると担当者が判断し、保護者や子どももそれを希望すれば通級を開始することになる。また、相談の結果によっては、他の機関を紹介したり、経過を観察した後、再度相談を持つこともある。在籍する幼稚園や保育所とも必要に応じて協議する。

  (3)指導システム
  教育相談の結果によっては、通級による指導を開始するわけだが、島根県内には、以下の図に示すような幼児通級のシステムが存在している。

 ◇ A市 … 人口約30,500人('01/10/01現在)、児童数約1,800人(01/05/01現在)
   通級指導教室設置校 … a小学校(担当者1名)、b小学校(担当者2名)
   幼児通級指導担当者配置所 … c保育所(担当者1名)
図2 A市の幼児通級システム概要図

 ・ c保育所の保育士が、b小学校の通級指導教室という場所を借りて、保育所の幼児の指導を行う。
 ・ c保育所の保育士が他の保育所を訪問して、幼児の指導を行う。
 ・ a小学校、b小学校の通級指導教室担当者も保育士とは別に幼児の指導を行う。

 ◇ B市 … 人口約152,900人('01/10/01現在)、児童数約9,000人(01/05/01現在)
   通級指導教室設置校 … d小学校(担当者2名)、e小学校(担当者3名)、f小学校(担当者1名)
   幼児進級指導担当者配置園 … e幼稚園(担当者1名)
   幼児担当指導員(市職員)… d小学校(担当者1名)、e小学校(担当者1名)
図3 B市の幼児通級システム概要図(1)

 ・ d小学校の通級指導教室担当者と指導員がく幼児の指導を行う。指導員は、週4日(月〜木)の勤務。
 ・ f小学校の通級指導教室担当者がd小学校へ出かけて、幼児の指導を行うこともある。
図4 B市の幼児通級システム概要図(2)

 ・ e小学校の通級指導教室担当者と、e幼稚園の通級指導教室担当者と、指導員が幼児の指導を行う。
 ・ e幼稚園の通級指導教室担当者は、通常はe小学校通級指導教室で勤務する。
 ・ 指導員は、週4日(月〜木)の勤務。

 ◇ C市 … 人口約87,300人('01/10/01現在)、児童数約5,600人('01/05/01現在)
   通級指導教室設置校 … g小学校(担当者4名)
   幼児通級指導教室設置園 … g幼稚園(担当者1名)
図5 C市の幼児通級システム概要図

 ・ 教育相談は、g小学校通級指導教室で一緒に行うが、幼児の指導はそれぞれの教室で行う。

 ◇ D町 … 人口約27,000人('01/10/01現在)、児童数約1,800人('01/05/01現在)
   通級指導教室設置校 … h小学校(担当者2名)
   幼児担当指導員(町職員) … h小学校(担当者1名)
図6 D市の幼児通級システム概要図

 ・ h小学校の通級指導教室担当者と幼児担当指導員が、幼児の指導を行う。

 ◇ E市 … 人口約47,100人('01/10/01現在)、児童数約2,900人('01/05/01現在)
   通級指導教室設置校 … i小学校(担当者2名)
図7 E市の幼児通級システム概要図

 ・ i小学校の通級指導教室担当者が、幼児の指導を行う。

  (4)指導システムによるメリット・デメリット
   島根県における幼児に対する通級による指導を行うシステムは、上に図示したようにおよそ6つの型に分けられる。幼児に対する指導を行うための施設として独立しているといえるのは、C市のg幼稚園(図−5)のみであり、他の市町においては、既存の施設または施設の新設に合わせて人を配置するという方法が取り入れられている。
  幼児に対する通級による指導を行うための人員が配置されていることによるメリットとして、次のようなことがらがあげられる。
 ・ 就学後も継続して指導が必要な子どもを安心してスムーズに引き継ぐことができる。
 ・ 隔週でしか通級できなかった幼児が、希望どおり毎週通級できる。
 ・ 保育所、幼稚園の担当者と、小学校の担当者が、直に会って話ができる。(図−2,5)
 ・ 幼稚園、小学校の担当者が同じ場所で指導を行う場合、子どもや保護者のニーズに応じて、担当者を決めることができる。(図−3,4,6)  ・ 幼児の保護者にとって、小学校へ通級するよりも、幼稚園へ通級する方が、抵抗を感じない場合がある。(図−5)
  デメリットとしては、次のようなことがらがあげられる。
 ・ 小学校の教室を借用して指導を行う場合、時間が限られ、通級したいという幼児と保護者の希望に応えきれない。(図−2)
 ・ 担当者が、所属する保育所、幼稚園を離れて勤務することで、所、園内での立場や人間関係で難しさを感じる。(図−2,4)
 ・ 予算的な裏付けに脆弱さがあり、研修の機会が保障されにくかったり、身分が不安定だったりする。(図−3,4,6)


  県内にみられるシステムは、各地城の実情をふまえた上で、いかにして幼児に対する指導を実現するかを考えた結果生まれてきたものである。その道程は、1984年(昭和59年)に島根県聴覚言語障害児教育研究会10周年記念事業として発刊された『難聴・言語障害特殊学級 運営の手引き』1) にも「早期教育の必要性・システムと問題点」として取り上げられている。以来20年近くの間、県内各地で保護者と共に築いてきた幼児に対する通級による指導のシステムは、様々な形態ゆえの課題をそれぞれに抱えつつも、運用の工夫などによって通級による指導のメリットを生かすべく努力が続けられている。


 2.幼児期からの通扱による指導の実際
  島根県においては、E市のようなシステム(図−7)での幼児通級が最も多い。ここでは、E市のようなシステムのもとで、3歳から通級を始めたA児への指導の実際を紹介し、ハンディキャップのある子どもに対する通級指導教室における支援の可能性を探る手がかりとしたい。

  (1)「島根県ことばを育てる親の会A支部総会」で
私がこの小学校に転任してきた1995年の5月上旬、島根県ことばを育てる親の会A支部総会のあと、一人の母親から話しかけられた。それは、息子が3月まで通級指導教室に通っていたのだが、今年度から幼稚園に通い始めたので、今は通級していない。しかし、総会での私の話などを聞いて、またお世話になることがあるかも知れないと思ったので、その時はよろしくということだった。私は、このとき、障害という部分にとらわれないようにしたい、人とかかわることが楽しいと感じられる場所にしたい、子どもを間に置いて保護者と担当者が両輪のようになって進んでいきたい、というようなことを話したのではないかと思う。
  総会後の母親との話もいつしか忘れてしまった9月の下旬。母親からの電話によって、A児と私の7年近いつき合いが始まることになった。

  (2)A児と出会う前の情報
  母親から、通級を再開したいという旨の電話を受け、A児に関する資料を綴じたファイルから、次のような情報を得た。
 ・ 1993年10月18日(A児3歳0ヶ月)、児童相談所の紹介で初回相談に来室。
 ・ 生後2日目に泌尿器科で手術。6ヶ月後に心臓手術。その後も泌尿器科の手術を幾度か受ける。
 ・ 肺炎に確りやすく、初回相談までに10回くらいの入院加療。
 ・ 両耳とも中耳炎に雁ったことがあるが、聴力には異常なし。
 ・ 栄養失調気味で、乳歯のほとんどは虫歯で、体も非常に小柄である。
 ・ 保護者は、語彙の少なさ、発音の不明瞭さなどから、A児の発達の遅れを心配している。
 ・ 初回相談後、週1回定期教育相談として通級する。他の療育機関へも通う。
 ・ 1995年3月9日(A児4歳5ヶ月)、4月からの幼稚園入園に合わせ定期教育相談を終了する。
  この他にも、指導内容や所見の記述があったが、A児のことを具体的にイメージすることは難しかった。

  (3)エピソード1(A児との出会い)(A児5歳0ヶ月)
  1995年10月4日、定期教育相談を再開。A児と私のかかわりが始まる。
  母親と2人で来室。プレイルームに入り、トランポリンで遊びたいと言うので、トランポリンを出すがA児は廊下に出てしまう。最近は初対面の人、初めての場所や物事に抵抗感を持つようになったようで、以前のようには誰とでもすぐに話をしたりしなくなってきたらしい。私もA児について廊下に出てみると、A児が下駄箱にもたれかかっている。私がその真似をすると、A児は頭を下駄箱につっこむ。また私が真似をすると、A児は1段下に頭をつっこむ。私がA児の真似を繰り返し、一番下の段までいくと、A児が「グー」と寝た真似をする。私が「コケコッコー、朝ですよ」と言うと、A児の表情がゆるむ。この後2人でプレイルームに戻り、母親からA児の好きなモノ、コトを聞きながらA児の遊びに加わる。

  (4)エピソード2(他の療育、相談機関での話)(A児5歳1〜2ヶ月)
  通級時には、A児の好む活動に付き合う形でかかわりを続ける。A児にはやりたいことがたくさんあり、いろいろな玩具を次々に出す。ある療育機関では、一つの遊びが終わったら使ったモノを片づけてから次の遊びに移るのだと母親が話された。しかし、一つのモノは一つの遊びにしか使えないということはなく、モノとモノが組み合わされて新しい遊びが生み出されることもあると母親に話し、通級指導教室では使ったモノをすぐに片づけないでおくことにする。   2年後に就学をひかえ、県教育委員会主催の教育相談会に出かけた際、相談員から、低学年の間は通常の学級でやっていけると言われたそうだ。また、隣接する市の医療福祉機関で受けた発達検査は、発達年齢3歳9ヶ月という結果だったことも話される。通常の学級への就学が適切なのかどうかのコメントはしなかったが、通常の学級への就学のみをめざした支援にならないように配慮したいと思った。

  (5)エピソード3(暮らしのなかに根づく)(A児5歳3ヶ月〜6ヶ月)   冬休みをはさんだ1月最初の通級時、A児は前回できなかったシャボン玉遊びがしたいと言ったり、段ボールを使って剣を作ろうと話していたのを覚えていて、剣を作ってほしいと言ったりする。この時作った剣はすぐに壊れてしまったので、次回の通級時には、新しい剣を作りながらA児の来室を待つ。剣を作りながら、段ボール箱の中に入っているA児を見て、この次は段ボールを使ってA児が乗れる自動車を作ろうという話になる。1週間後、A児が来室したとき、強風で下駄箱の上の鉢が落ちる。母親は、A児が今日の自動車作りを楽しみにしていたので、片づけは自分にまかせて、A児と自動車作りをしてほしいと言われる。A児は、できあがった自動車を家に持って帰ってもいいかと聞く。自動車は大きいから運ぶのは大変だよと言うが、A児は自動車を抱きかかえるようにして持って帰る。帰り際、いつものように「明日来るけえ」と言って別れる。

  (6)エピソード4(通級教室へ持ち込む「暮らし」と持ち帰る「暮らし」)(A児5歳7〜9ヶ月)   A児はいつも母親と一緒に来室する。母親は車の運転をしないので、交通手段は徒歩か自転車である。希に父親に車で送ってもらうこともあるが、雨の日も風の日も週1回A児と母親は、大の大人でも息の切れる急な坂道を登ってやって来る。
  A児に下痢と嘔吐の症状がみられたため、通級を休むという連絡をしたところ、A児がなぜ休むのかと言って怒ったという話を母親から聞く。また、母親は、A児が幼稚園で描いたアニメのキャラクターの絵を持ってくる。その絵をみんなで見て、髪型や目にキャラクターらしい雰囲気が出ているとか、ポーズがかわいいと言って誉める。
  通級児の保護者を中心とする「ことばを育てる親の会」の行事で遠足に行った際、A児は砂浜でのトンネル掘りがとても楽しかったようで、通級時にも砂場へ行ってトンネルを作ろうとA児の方から言い出す。また、テレビ番組のヒーローが付けているバッジの玩具を買ってもらったときには、そのバッジを胸につけて来室して見せてくれる。

  (7)エピソード5(就学を控えての暮らしぶり)(A児6歳0ヶ月〜6歳4ヶ月)
  このころA児は、「ミニ四駆」などモーターで走る自動車の玩具に熱中していた。家族で帰省したときに買ってもらった「ミニ四駆」などを袋に入れて持ってきては、教室にある自動車と競走させたりしていた。「ミニ四駆」以外にもA児の興味、関心が広がり、話題が豊富になってきた。多少発音が不明瞭でも、それまでなら、A児の好きなモノやコトから推測して、話の内容が理解できていたのだが、母親に解説を加えてもらわないと理解できないことがあるようになった。
  この時期は幼稚園で運動会や学習発表会といった行事が行われる。母親が行事の際に撮影したビデオテープを持ってこられ、一緒に見ながらA児の成長ぶりを語り合う。A児は、学習発表会の「かさこじぞう」の劇で、手ぬぐいをかぶせてもらうお地蔵さんの役を演じていた。父親はその劇のビデオを1ヶ月間毎日のように見ているという話を聞く。
  10月中旬になると、母親が、就学時健康診断のことをよく話題にされるようになった。身体測定や内科検診でパンツ1枚になったとき、心臓手術の跡のことはA児がさほど気にしていないからよいのだが、下着を濡らすようなことがないかということを心配している。また、知能検査などができなくて、A児がショックを受けたりすることはないかということも心配なようである。私は、就学時健康診断の進め方や、知能テストの内容など、具体的に事実を話し、必要な配慮があれば教えてもらうように努めた。
  11月中旬には、就学までに済ませておいた方が良いと言われた泌尿器関係の手術を受ける。手術を頑張って受けたら、「ミニ四駆」を買ってもらう約束をしていると聞いたので、お見舞いに乾電池をあげる。退院後初めての通級時に、買ってもらった「ミニ四駆」に私のあげた乾電池を入れて持って来る。A児と私の2人だけになったとき、A児がぽつりと「電池ありがとうね」とお礼を言ってくれる。

  (8)エピソード6(就学後の暮らしぶり)(A児6歳7ヶ月〜10ヶ月)   就学後、A児は私の勤務する学校の通常の学級に在籍し、週2回、授業時間中と放課後に通級する。就学後も、通級指導教室で行う活動内容に変化がみられるわけではないが、就学前の半年間で、A児の興味、関心が多方面に向けられるようになり、同年齢の子どもの間で流行っているモノや、テレビ番組で視聴した事柄を話題にすることが多くなった。A児を在籍学級へ迎えに行き、トイレへ付き添ってから通級指導教室に着くまで、A児と私の会話は途切れることがなく、お互いの暮らしぶりを伝え合う楽しい時間になっていた。
  母親は、A児の通級に合わせて来室し、放課後の通級時には、A児の担任とよく面談していた。母親にとって、最も気になっていたのは、A児の排尿、排便のことである。A児は尿意や便意を感じにくいので、休憩時間には必ずシャワー付きの更衣室の中に作られたトイレへ行くように言われている。しかし、学校生活に慣れるまでは、学級担任等の援助が欠かせず、トイレへ行くように言っただけでは、濡れたままの下着をはいていることもある。母親は、家庭においてA児の排尿や排便の自立を図りながらも、通級時を利用して担任に配慮してほしいことを頼んだり、学校でのA児の様子を尋ねたりしていた。母親と担任が直接会って話ができないときや、事柄によっては担当者が間に立って話をすることもあった。

  (9)A児との通扱指資教室での暮らしを振り返って
  A児と私が出会ってから、小学校入学後までの通級指導教室での出来事を、いくつかのエピソードとして取り上げてみた。
  エピソードとして取り上げた事柄からも分かるように、就学前のA児に対して、「これこれの能力が不足しているので、その能力を高めるためにこのような指導、訓練をしましょう」といったかかわり方はしていない。エピソード2にあるように、「いろいろな玩具を次々に出す」A児を見て、「やりたいことがたくさんある」子、つまり様々なモノ、コトに興味、関心がもてる子として受け止めてかかわり、決して集中力が長続きしない子という見方はしてこなかった。また、玩具の使い方にしても、まだ何々が理解できていないからこの遊びはできないといった制限を加えることはなかった。A児は当初、ボードゲーム(すごろく)を見ると迷路としてとらえ、スタートからゴールまでのマスを指でたどって遊んでいた。それに対して、「その遊び方は違うよ」とか「数が教えられないと遊べないよ」とは言わなかった。さいころを使うようになったのも、A児に数を理解させるためではなく、さいころを使った遊び方で楽しめないかと考えたからだった。実際、A児がさいころを転がし、わたしたちが駒を進めるというやり方で十分楽しめていたのだ。そうしているうちに、A児に数に対する関心・が芽生え、晋段の暮らしのなかで数に接しているうちに、自分でさいころの目の数を読み、駒を進めるようになった。このように、ひとつの遊びをとりあげてみても、今ある能力で何とか楽しめないか、充実したものにできないかと考え、かかわった結果、いわゆる能力といったものを身につけてきたように思う。
  母親に対しても、A児にこの能力を獲得させるために、家庭でもこういったことをして欲しいと言ったことはない。通級時には、A児と共に「今」を大切に楽しむ姿を見てもらいながら活動に加わってもらっていた。そして、通級指導教室での支援の結果というのではなく、家庭、幼稚園、地域での周囲の人たちとの暮らしが充実している結果としてのA児の成長を共に確かめ合ってきた。就学にあたっては、母親が懸念されることに対して、エピソード7で述べたように、私の知り得る事実を具体的に伝えることで応えようとした。就学後の、ハンディキャップや暮らしにくさについては、エピソード6のように、母親や担任と話し合いながら、環境を整えることも含めて改善に努めてきた。こうした母親とのかかわりを続ける中で、母親は「ことばを育てる親の会」の活動に積極的に参加し、支部長などの役員を務め、親の会の運営に.欠くことのできない存在となった。
  A児は現在小学5年生である。エピソード3〜6にみられるような、心に残るできごとを積み重ねながらのかかわりを続けてきた。1年生から4年生までは通常の学級に在籍し、今年度から知的障害特殊学級に入級した。A児にかかわってきた周囲の人たちは、A児が通常の学級に適応できなくなったから特殊学級に入級したのだとは考えていないはずである。学校内で、A児の好きなモノやコト、得意なモノやコトがたくさん見つかり、A児らしく暮らせる場を考え、探した結果が特殊学級への入級だったのだと思う。このような 道筋で選択できたのは、A児に対して障害や、障害に基づく困難の改善、克服のみをめざしたかかわりをしてこなかったためだと考える。私自身、結果としてA児の障害に基づく困難の改善、克服につながることがあるかもしれないという思いは持ちながらも、A児の「やりたいこと」「できるようになりたいこと」をたくさん見つけ、取り組む楽しみを一緒に味わいながらA児と共に過ごしてきた。つまり、A児との「今」を大切にしようとするかかわりが互いの「生きがい」を生み、通級指導教室での暮らしが充実するとともに、幼稚園や小学校、家庭、地域での暮らしの充実へとつながったのではないかと考える。また、A児の通級時にいつも付き添ってきた母親の暮らしも、A児と同様に充実してきたのではないだろうか。


 3.おわりに
  本稿においては、島根県における幼児通級の実態と指導の実際を報告することにより、ハンディキャップのある幼児に対する早期教育の有用性や、子ども、保護者のニーズに応じた受け入れシステム、指導内容のあり方を考える手がかりになるのではないかと思っていた。
  確かに、早期教育の重要性に疑いの余地はない。幼児期から、自分らしく過ごすことのできる「暮らしの場」があるということは、発達や自己実現に影響を与え、新しい自己を発見するということへの援助の可能性があるということだと思う。その可能性を生かすために、子ども、保護者が通いやすいシステムを用意することは、大切な一面だと考える。「システム」といえば、どのような施設設備を用意し、手続きの流れはどうで、何という資格を持った人がいて、予算措置はこのようになされるとか、あの療育機関と、この相談機関と、市のなになに課が連携してということに頭が向いてしまいがちではないかと思う。しかし、「システム」というものを考えるとき、子どもや保護者とかかわる生身の一己の人格をもつ人間の姿を抜きにはできない。
  本稿を書き進めるにあたり、現場で子どもとじかにかかわる者として、「まず子どもありき」という点は常に中心に据えて考えたつもりである。そして、システムというものは間違いなく重要であるが、枠組みを作っていくのがシステムづくりではなく、必要から生じて積み上げていくものがシステムづくりではないかということも本稿をまとめるにあたって再確認したいと思う。幼児通級について考えるとき、いつも思い出すのは、ある講演会での次の言葉である。『担当の先生方に、一言これからのご奮闘をお願いします。制度に問題があるから、「あなたの子どもさんは指導ができません」なんていう度量のないことを言わないで、制度の足りないところは、やはり教師がどっかで頑張ってやっていくうちに、制度がまた変わってきます。特に、現代の制度は、過渡期でございまして、これからまたいろいろと、通級指導教室についても当然見直しが行われる時期が近いうちに来るはずでございます。ご奮闘くださいますようにお願いを申し上げて、私の話を終わらせていただきます。』2) この言葉のように、制度として認められていないのなら、まずは運用の工夫によって幼児とかかわり、様々な人の知恵と力を集めて、システムを考え制度を変えていくことを目指していきたいと思う。


<文 献>
1)島根県聴覚言語障害児教育研究会:難聴・言語障害特殊学級運営の手引き.1984.
2)島根県聴覚言語障害教育研究会:島根の「通級による指導」を考える.1998.




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